このページはダウン症の女流書家金澤翔子さんへの応援メッセージです。


金澤翔子を見守る人々

翔子さんの書と出会う歌人 馬場あき子

  一人の少女はダウン症という天与の障害を持って成長した。

  母の嘆きをよそに、少女は太陽のように明るい素直さに加えて、他者を思いやる心の豊かさをもって周辺に優しい光を注ぐ力を持っていた。
母は今、翔子さんというこの娘の存在にむしろ癒され、宝物を抱くような充足を感じている。
私はこの母である泰子さんと昔なじみの友人であったので、翔子さんが筆を手にするようになったころから、折にふれてその成育の様子を聞く機会があった。
しかし母親によって語られる、しかも障害を抱えた娘自慢は、ある「引き算」が必要であるという常識を捨てきれず、ともかく前途に得た光明を祝福するにとどまっていたに過ぎない。
  
  私のこの常識的な接し方を一挙にくつがえしたのは、翔子さんが二十歳の成人に達したのを記念して催した初の個展であった。
銀座書廊の入口を入るとすぐ正面に飾られていた「如是我聞」の大字四文字が、強く私を打った。
筆の動きを見せた一線一線に、今までみたこともないような鮮やかな意思と力が、快い速度をもって動いているのが感じられ、思わず長く足を止めてしまった。
そこには何の企図もなく、空の広さを得て躍る虚心坦懐の純粋さがあった。あるいはまた歩を進めて「月光」の二字を見る。

  そこには深い力をたたえた優しい「月」が大らかに浮かび、あどけない童女が喜々として跳ねているような「光」が美しく可憐だった。
シルクロードの快晴の碧空を翔けてきたような力強い「飛天」もあった。
従線を欠いているところが,まさに飛翔の姿そのものを感じる。
いつかみた莫高窟(ばくこうくつ)の壁画の中には仙術を得た男の飛天もいたが、翔子さんの「飛天」は男女を超越した飛ぶ力や爽やかさがあった。

  なぜこんな字を生むことができるのだろう。
時には目に見えぬ深い存在の頼もしさをここに見せてくれるような「佛心」の二字があり、「如来」の佇まいそのもののような美しさで佇っている文字もある。
あるいはまた、「無」という厳然たる真実について、改めて思索させるためにあるような骨太な一字のゆるぎなさに驚き、またあるときは、夢の太さをにじませたような「虹」の優しさに心を潤す。

  そして十歳で書いた般若心経や観音経のひしひしとした文字並びは、幼くしてすでに誠実な持続の意思の深さをみせている。
私はこれらの書の森を巡りつつ、「天与」という言葉の深い意味に出会う思いだった。
翔子さんが母と一体となって、克服し克服して喜びに変えてきたものを考える。
決してそれはたやすい道ではなったはずだが、今筆を握る翔子さんの姿をみると、歓喜天のように輝いている。
真実、天与の才というのは、このことをいうのでなかろうか。
書いているその姿に、自ずと頭が下がるのである。
(「愛にはじまる」の巻頭の詞より)

***参考ページ*** 歌人 馬場あき子さんのプロフィール
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